共感(心理的安全性)と協働(モブワーク)の裏側で求められるwith corona時代の新しいプラクティス
発端はこのツイートの「アドバイスより共感」を見て、です
男性には理解出来ず、女性特有と古来言われて来た「アドバイスより共感」でもTwitter民は既に会得していると思われるので、男女の脳の違いとかじゃなくて、単にコミュニケーション総量・経験値・場数の違いだったんだな~、と。
— 土田善紀 (@tsuchidasama) 2020年10月18日
子供の頃から縄張り争いばかりしてた男子と違って、女子凄い。
「アドバイスより共感」から、技術書典でここ数回増えているエンジニアの成長、チームスキルなどのソフトスキルのキーワードが幾つか頭の中で繋がりそうになったのでした
今の、それもwith coronaの世界線上で
心理的安全性やモブワーク(これはcorona前からですが)、共感など、素材は個々にあって、それぞれで語られていた
でも、これって何か時流的な大きな潮目が変わっていて、その結果、断片的に見える事象に対する対処的なプラクティスなのではないか、という仮定が浮かんだのです
だとすれば、見えていない真因はなんだろう、と
では、その前はどうだったんだろう
集合研修、組織内の研修、OJT、OFFJTなどの場を画一的に設け、出来上がっているコンテンツ=業務で必要とした知識、技能を移転させていた。これは事業オーナサイド、つまり経営が事業継続、拡大の目的を達成するために生産のリソースを増強する目的でやっていた
with coronaの前から少しずつ、新しい世界線に移り始める(以降、wtih corona時代と記します)と、業務で必要とする知識や技能を詰め込むだけでは、事業目的を達成することができなくなってきた。その結果は平成の失敗の連続として記されてきたのかと
その前は、もっとひどいと言えば酷くて、背中を見せる=教えることをしない=習う、身に付ける側で見て盗め的だった。近代の前ですかね。いわゆる職人の世界。教える側にモチベーションがない。なぜなら、教える側も生き抜くだけで精一杯。今風に言えば、事業に極振りしたわけです。事業で儲けられるリソースを。だから後進育成なんてしない
with coronaでも研修あるよとか言いたいかもしれません。それはwith coronaの時代に前代の名残が残っている、もしくは、with coronaでも生き残るプラクティスだから。
with coronoの時代(念の為に補足しますが、ざっくりと1990後半以降、特に2010前半くらいには新しい時代の半分まで潮目の割合を超えたイメージです)、何をやっても目的を達成できない、計画が意味をなさない=解釈を変えて目的を達成したことにしたり、確実にできそうな目的しか立てないようになってきた
教える側が正解を知らない。だから呑気にやってられない。今まで、
背中を見て育つやつだけ生き残ればいい
↓
幹部候補生として採用して(やっぱり)出世レースに押し込んで選抜
↓
育つのを待ってられない
だから即戦力を実践のない学生まで経験を求める採用をしている。そうした世界にあるのは、事業もそうだし、いちエンジニアとしていかに生き残るかに対するプレッシャです
それに対応するプラクティスを探し歩いて得たものが、共感(=心理的安全性)であり、協働(=モブワーク)なのでは、と
それが正解のはずだったのに、with coronaでどちらも対面で行えなくなり、距離という新しい阻害要件が生じてしまった